カリフォルニアはハワイではない

翻訳業を営みながらサンフランシスコ、LA、日本を往復する日々の中で見つけた小さな発見をつづります。

アフガニスタンの通訳者

今年は日本への出張が多く、毎月ペースで帰っている。

2週間の出張を終えた私は、疲れた身体と重いスーツケースを引きずりながら

サンフランシスコ国際空港(SFO)からUberで帰途につくことにした。

タクシー代わりに最近よく使用しているUber。

今日迎えに来てくれたドライバーは少々国籍不詳な見た目の青年だ。

SFOから自宅までは渋滞なしで40分はかかるため、

いつものように世間話や旅の話などをしながら

今時Uberの車では珍しいくらい古いカローラはフリーウェイを北に飛ばしていく。

どちらもアメリカ人には見えない私たちは、

自然の流れでどこの出身か、という話題になり、「当ててみて」と言うドライバー君。

南米出身といわれればそのようにも見えるがアクセントが少し違う。

アジアだというが東や東南アジア圏には見えない。

トルコ、ウズベキスタン、そのあたり?

「年がら年中、戦争が続いて銃声が響いている国だよ」と言われて

なんとなく頭の奥底で検討はついたのだけれど、

どういう罪悪感にかられてかズバリと言えず、

結局彼に正解を言ってもらうことになった。

「アフガニスタンだよ」

やはりそうか。アフガニスタンとアメリカはしばらく前から切っても切れない関係だ。

家族やアメリカに来た経緯や仕事のことをお互いに話していると、

「僕は数年前までアメリカ軍の下で翻訳者として働いていたんだよ」とドライバー君。

アメリカという国の国家機関がアメリカ国籍以外の人を翻訳や翻訳で雇うことは稀だ。

「それは珍しいね、文書とかを翻訳していたの?」と尋ねると

「違う違う。僕はアメリカ軍と一緒に戦場を回ってアフガニスタンで通訳していたんだよ。」とあっさり。

!!!!!!! なんと!!!!

翻訳・通訳という同じ職に携わりながらも

片や戦場通訳者、片やビデオゲームの通訳者とは。

自分の仕事を恥ずることは決してないが、

のほほんと毎日仕事している私にはとても頭が上がらない命懸けの仕事だ。

これまで翻訳者や通訳者にはそれなりに出会う機会があったが、

戦場の通訳者、しかもアフガニスタンの戦場でアメリカ軍のために通訳してきた

アフガニスタン人に会って話を聞く機会は後にも先にも一生ないだろう。

アフガニスタンで裕福とは言えない暮らしを送っていた彼は、

そこそこの報酬をもらえる(そりゃそうだ!)通訳の仕事に就く決心をしたそうだ。

ご両親はもちろん反対したそうだ。

「アメリカでは18歳にもなると実家を出るという風潮もあるようだけど、

僕の国は親が死ぬまで一緒だったり、少なくとも結婚とか大きな変化があるまでは

子供もずっと一緒に暮らすんだよ。」

だから、親元を離れるだけでなく、経済的な理由があるとはいえ、

命というリスクを負ってまで戦場に行くのは無茶だ、

というご両親の気持ちは痛いほどによく分かる気がする。

ともかく戦場通訳者としてアメリカに雇われた彼は、

アメリカ軍の兵士たちと一緒にアフガンのキャンプを転々と回ることになる。

「ぶっちゃけ、人が死んだりするのをそこで見たの?」と恐る恐る聞いてみると、

「もちろんさ。僕の目の前で兵士の手足が吹っ飛んでいったこともある。

何人もの人が傷つき、死んだ。アメリカ軍の兵士は若いやつが多くて、

みんな毎日泣いていたよ。精神が崩壊して発狂するやつも中にはいた。

その後アメリカに来て、この国の人がどんな暮らしぶりをしているのか見て、

なぜみんなあんなふうに泣いていたのかよく分かったよ。

アメリカにいるアメリカ人はみんな毎日いろんなストレスを抱えているけれど、

それは戦争が日々身近に起こっている国の国民が抱えるストレスとは

まるで別種のものだ。

それが突然あんな戦場に送り込まれて逃げることさえできない。」

その頃には私はすっかり彼の話に聞き入ってしまって、

まるで自分がジャーナリストであるかのように矢継に質問した。

古びたゴールド色のカローラはイースターの日曜日で少し混んでいるSFの市内を

ゆっくりとクルーズしていく。

彼の右頬には大きなあざがあったが、

それが戦場の痕跡なのかどうかはとうとう最後まで聞けなかった。